ついに20回目ファイナルということでテーマは「音楽拡張 -音と言葉-」
インビジ最重要人物の一人であり、べしゃりを武器に突き進んできた清川進也さんをお招きし、ボスの松尾謙二郎、ナンバー2の中村優一と共にSOUNDABOUTしていきます。
インビジが20年掲げてきた「音楽拡張」
言葉を使ったこのPodcastというプラットフォームでどこまで拡張していくのでしょうか!
出演者 : 清川進也、松尾謙二郎、中村優一
ファシリテーター : CD HATA
- CD HATA : それではSOUNDABOUT最後の自己紹介いきましょう。自分はDachamboのCD HATAです。テクノDJ、Ableton Meetup Tokyoの運営、DTM講師、そしてインビジfellowsとしても活動中です。
- 松尾 : SOUNDABOUT最多出場の松尾です。インビジの代表をしています。よろしくお願いします。
- 中村 : 松尾と一緒にインビジを始めた中村です。こんな歳になってもゲーム小僧です。
- 清川 :
EIGHTYEIGHT.を主宰している清川進也です。サウンドデザイナー、プロデューサーです。音を中心にいろんなことをやらせてもらってます。
インビジには2009年くらいから所属させてもらってました。EIGHTYEIGHT.を立ち上げたのは2020年2月です。
- CD HATA : インビジでいちばん思い出に残っている出来事ってなんでしょう?
- 清川 : それはもう、いっぱいたくさんありますよ。マツケンさん、どうですかね?
- 松尾 : 俺は最初に清川が事務所に遊びにきた時だな。いろいろ話を聞いてて、自分で企画して、自分で運営して、自分で集客できるっていうのがすごいなって思っていて。こんな人がウチに入ってくれたらいいのになぁって話してたら、本当に来るってことになったんだよね。
- 清川 : 僕が初めてインビジの事務所に行ったときに、マツケンさん、玄関開けてすぐの板の間のキッチンでうつ伏せになって寝てたんですよ。衝撃ですよね。今までそんな出会いなかったですよ(笑)。
- 一同 : 爆笑
- 松尾 : マジでそんな生活だったんよ。週に2,3回はあそこで寝てた気がする。そんなん見てよく入る気になったな(笑)。
- 清川 : 今までに見たことのない世界だったんですよね。そこに対して好奇心の針が振れたというか。僕が加わってどんなことができるんだろう、何が起こるんだろうっていうね。まったく想像がつかないけど、きっと面白いことができるだろうなっていう確信だけはあった気がする。
- 松尾 : そういう意味じゃ、オタクの中にヤンキーが入ってきたみたいな。
- 清川 : まあヤンキーじゃないですけど(笑)。そういう感じかもしれませんね。
- 松尾 : でも見え方がもう新鮮でさ、すげーっていつも思ってたね。
- CD HATA : 見え方っていうのは、どういう意味でしょう?
- 松尾 :
何かのイベントで人を集めなきゃいけないことがあって、俺は知り合いに電話して「すいません、この日、予定空いてないっすか?申し訳ないっすけど、来てもらえないですかね?」みたいに話してたんだけど、清川は「おまえさ、この日すごいことあるんだけど、俺と世の中変えてみない?」みたいなこと言ってて。
最初に相手のモチベーションをいかに上げとくか、みたいなことってすげー大事で、清川はそういうのに秀でた人なんだなあってまず思った。
- 清川 :
それ覚えてます!みんなにそういう言い方をしてた訳ではなく、その人に合った言い方をするように心がけてはいましたね。
伝え方によって相手のモチベーションってぜんぜん違ってくるじゃないですか。何かを伝えるときに、いったん立ち止まって相手のことを考える癖はついてますね。
プロジェクトに関わるみんながハッピーにっていうのはなかなか難しくはあるんですが、きっかけってとっても大事ですよね。伝え方はすごく考えて気にします。
- 中村 : 実際、清川さんがプロデューサーに立った案件ってめちゃくちゃ楽しかったですもんね。
- 清川 :
ディレクションの話になってきますけど、言われたことをそのまま伝えなくなったんですよ。時にはその先を見据えて、言葉を変えて伝えて、最終的に目的地に到達するようにするって、めちゃくちゃ考えるようになりましたね。
インビジで最初のころは、プロデューサー的な立場になることが多かったんです。クライアントさんから依頼がきて、じゃあ作家の人たちにどういう風に伝えていくか、また上げてきてくれた曲に対してフィードバックしていく訳ですけど、自分のフィルターを通すことで、お互い前に進まなきゃいけないっていう使命感があったんですよね。前に進むためにどういう言葉を選んでどういう伝え方をするか、というのはすごく考えました。めっちゃ勉強になりました。
- CD HATA : それってすごく大事ですよね!クライアントさんも音楽のプロフェッショナルではない場合が多いから、言ってることと、実際求めてることと隔たりがあったりもしますもんね。
- 松尾 : むしろそっちが多い。そこをちゃんと咀嚼して、いい伝え方をするというのも我々の仕事だからね。特に作家を繋ぐ場合はね。
- 清川 : 音楽だけ作ってたら、なかなか現場にいくことってないんですよ。それが現場で音をディレクションするようなプロジェクトが多くなりだして、いろいろ経験させてもらいましたね。
- 松尾 : そういう会社はなかったからね。なるべくポータブルに現場で試行錯誤するっていうのがうちのスタイルだったね。
- CD HATA : 現場っていうのは、どういうところを指しています?
- 松尾 : スタジオとか、ミーティングとか。ミーティングでその場で聞かせちゃうっていう。当時、音楽を作る人はデスクトップだったんですよ。我々はその頃からラップトップでどこでもできまっせ!っていうスタンスだった。
- 清川 : 僕のライフスタイルと、インビジが模索していた仕事のスタイルがフィットしたタイミングがあったんです。僕は性格上、一箇所に留まれないんですよ。実はマツケンさんもそうだと思うんですけど(笑)、自分からいろんな場所に出向いて動きながら物を作って、そこでまた新しい何かを拾ってきて誰かに渡すっていうスタイル、それを形にしたような気がする。
- 松尾 : 時代とマッチしたんだよね! あと一時期「音楽理論がわからないと話せない」って、俺に楽典的な音楽理論を聞いてきてた時期があったよね。
- 清川 :
あれって実は、僕がその理論を使って音楽を作ったことは一度もないんですが、飲み屋の席で、よく話すんですよ。
話す相手が僕自身にそういう期待を寄せていたんですよね。これが大きくて。
なんで僕に仕事お願いしてくれるんだろうって考えたら「清川に託してたら間違いない」と期待を寄せてくれてるんです。と考えたら、僕自身もそういう理論を理解しておきたいと思ったんですよね。もう勉強するしかないなって。
- 松尾 : うちのメンバーが「ほかの人が知らないことを知ってる」とか「インビジと仕事すると勉強になるとか」メリットがあると思ってもらえるようにならんとダメっていう感覚を持つようになった。それが清川の営業スタイルなんだよね。飲み会でそういった情報を披露するとか、福岡の美味しい店情報とかね。これがまた良い店知ってんだ(笑)。
- 清川 : 食への欲求は根源的ですからね(笑)。
- 松尾 : 営業スキルは、ほんとに清川から学ばせてもらった。
- 清川 : でも、上には上がいますよね。たとえば「森の木琴」でエンジンプラスさんなんかと一緒に仕事すると、現場の回し方とかを見る訳じゃないですか。そうすると、ご飯だけは毎回ちゃんとしたものを準備するってのが徹底されていて。何でですか?って聞いたら、やっぱり現場は辛いから、なんかひどいことが起きてみんなのモチベーションが下がっても、おいしいご飯が出てくると、ちょっとは現場の空気がよくなるから大切みたいな。
- 松尾 : すっごい大事!本能だよね。
- CD HATA :
胃袋さえ掴んでおくって大事ですよね(笑)。
「森の木琴」は清川さんが入社して2年後くらいですよね?インビジは「木琴」ていうのがシリーズとしてありますけど、もともと木琴を作っていて、あの話があったんですか?それとも、あの話があって木琴を作りはじめたんですか?
- 松尾 : それまでは木琴を作るなんてやってなくて。あの話がきたきっかけがあるとしたら、俺が個人的に木琴、鉄琴のインスタレーションをやってたのがあるくらい。
- 中村 : それまでずっと音楽作りしかやってなかったから、急に「木琴作る」ってなってすごい驚きました(笑)。
- 松尾 : インビジには顧問がいて、彼が木材関係の内装業をやっているので相談したら「木材は俺にまかしとけ!」っていうから進んだ感じ(笑)。
- 清川 : 今改めて振り返ると、ひとりひとりの役割がしっかりあって、一人でも欠けたら実現しなかったんじゃないかなって思いますよ。
- 松尾 : 何が大変って、どこでやるのかを決めるのがまず大変で。清川がめちゃくちゃロケハン動いてくれたんだよね。
- 清川 : 行きましたね。候補として最初は関東近辺でやるっていうのがあったんですけど、冬の撮影だったので雪降っちゃまずいだろうってことで、西日本になっていったんですよね。それで九州で場所選びをやりました。
- 松尾 : さんざん探して苦労しているときに、清川が突然「僕の同級生が地元の市役所の農林振興課にいるんすよ」って話になって。
- 清川 : 45メートルくらい一直線がとれて、斜面があるところという希望を言ったら、いくつか候補を探してきてくれたんですよ。そのうちのひとつに決定しましたね。
- 松尾 : あれが決め手になったよね。
- CD HATA : 総勢何人くらいで動かしてたんですか?
- 清川 : 相当な人数でしたよね。
- 松尾 : こないだゲストで出てくれた、当時九州大学にいた藤岡定くんたちにもオプションパーツ部分の制作などをお願いして、メインパーツはメインパーツで何度も実験して、それを削るのが、さっきの顧問をはじめとする木材関係者たちで、本当にパズルがピタッとはまったかんじでしたね。
- 清川 :
何度も何度も、もうこれだめなんじゃないかっていうことがあったんですよ。
で、倒れそうになると誰かが手を差し伸べてくれるっていうことがほんとに何度もあって「あぁまた助かった」みたいな。
撮影の2日前までめっちゃ雪ふっちゃったり。その後たまたま雨が降って雪を全部流してくれたり。その現場でも、僕らは例にならってご飯を大切にしました。
- 松尾 : そうそう!シェフに朝5時に来てもらって、めちゃでかい鍋で作ってくれてね。それをみんなに振舞う。
- 清川 : エピソードに事欠かないですよね。
- 中村 : その多くのエピソードを自分だけ知らないんですよ...。
- 松尾 : みんな本当に忙しくてバラバラに動かなきゃいけなかったからね。
- 清川 : 城を守る人が必要で。だから僕たちは、あの間城で何が起きてたか全く知らないんですよ。
- 松尾 : 飯塚市の伊川っていう清川の地元で撮影したんですけど、美味い店とかほんとによく知ってるの。で、俺が一番好きだったのは、肉肉うどん。あそこ最高だよね!
- CD HATA : その他にも、インビジの方向を変えたひとつの仕事があったということですが。
- 松尾 : 最初の5年から10年は、主に音楽プロダクションと音コンサルみたいなことをやってたんですよね。清川が入ってきて、ネットワークが広がってきたところで、ひとつ面白い仕事をもらったんです。それは某パソコンメーカーの案件だった。
- 清川 : ラッパーを10名くらい集めて、録音スタジオからストリーミングで配信したんですが、リスナーはツイートでお題を出すことができて、ラッパーがそれを1バースのラップにしてプレゼントするっていう企画で、2週間やったんですよ。最初の2日間は、24時間体制で。
- 松尾 : ライブストリーミングが一般化し始めたころだったよね。
- 清川 : 時代を先取りしてたよね。オープニングイベントはDommune繋いだし。テクニカルな部分はライゾマに手伝ってもらいましたね。
- 松尾 : そうそう、ライゾマができてすぐの頃だったかな。
- 清川 : スタジオにいるラッパーたちは、福岡の地元のラッパーで、みんなめちゃくちゃ言葉遊びがうまいんですよね。
あれは確かに、
それまでのインビジの仕事と風合いが違いましたよね。
- 松尾 : キャンペーン仕事というのも初だったんじゃないかな。
- 清川 : 楽しかったですよね! 最初の話に戻りますけど、人に声をかけて、参加してくれた人たちが最高だったって言って帰っていく最初のイベントだったように思います。実際、過酷な現場だったんですけど、楽しいからもっといたいって思うんですよ。
- CD HATA : インビジはその後、一般的な音楽の仕事から、音楽を拡張するような試みをいくつも手掛けるようになったわけですが、清川さんはEIGHTYEIGHT.を立ち上げてインビジからは離れていきますよね。何かきっかけとかは、あったんですか。
- 清川 : 自分が一番納得するやり方ってなんだろうって思ったんですよ。当然、会社の一員としてやっていくのは素晴らしいことだと思うんですけど、その分、責任みたいなものも当然出てくるじゃないですか。なにかを思い切ってやってみようって時に、全部自分の責任として背負ってみたいと思ったんですよね。
- 松尾 : 清川部隊がいっぱいできてたからね。その中でも、大分県の「シンフロ」なんかは、新ジャンルを作ったなって思います。
- 清川 : 大分県に行くようになったのは、「シンフロ」っていう温泉の中でシンクロナイズドスイマーの方々が踊る県全体のプロジェクトのためです。
その件で別府にも行くようになり、市長に会うようになって、そこで堀江貴文さんと3人でご飯を食べる機会がありました。いろいろ話をしている中で、町が盛り上がることをやりたいって盛り上がっていったんですよ。
これがインビジを離れるきっかけにもなりました。音とまったく違うことをやることになったし、僕の仕事に対する向き合い方や価値観も変わったなって思います。
- 松尾 : 俺も見ててよくわかったし、勉強になった。付き合う起業精神のある人たちやAPU(立命館アジア太平洋大学)とかにも触発されたから、自分もcotonを作ったんだと思う。
- 清川 : 僕はあれで、人が作品を作っていくんだというのをまじまじと感じました。誰もいなかったところに3人集まって、そこから紆余曲折あってひとつのことを成し遂げようと目標が決まって、どういうふうに進めていいか誰もわからないとこから始まったんですよね。どんどんいろんな人が関わっていって、最後には「温泉遊園地」を町中の人達が作る。
関わる人たちみんな、最初はこんなもんぜったいできないだろうって思ってたんだよね。
木琴にも似た感じです。
これって音楽をつくるというのにも置き換えられると思うんですよ。
自分ひとりの頭の中で描いたものは、自分を超えてないじゃないですか。
いろんな脳をくっつけながらみんなで揉みながら作るからこそ、自分が想像してなかったものをたくさん生み出せるっていう、実体験をした気がしますね。
- 松尾 : そうだよね。今の若い人にも伝えなきゃなと思って、半ば使命感を持ってるけど、意外になかなか伝わらないというか...。
- 清川 : 難しいですよね。ひとつディレクションを入れるにしても、自分でやってしまえばすぐ解決することだけど、あえてこれを誰かにやってもらうっていうことは、一見、遠回りなんですよ。でもその先には自分が想像できてないものがあったりするわけです。そこに踏み込む勇気みたいなものがあるといいのかなと思いますね。
- CD HATA : 近くにすぐに行きたいときは一人で行け、遠くに行きたいときはみんなで行けみたいな。
- 一同 : 良いこと言うねぇ。
- CD HATA : すごい濃い振り返りをしていただき、ありがとうございます! みなさん今後のビジョンは?
- 清川 :
いろんな人に会いに行きたいです。今こうしてzoomで話していてもまだまだ足りない要素があるはずなんです。音楽のセッションに置き換えてみると、たとえば匂いもわからないし、目配せとか仕草で伝えるコミュニケーションとか、そういうのが伝わらないわけですよ。
この2年間、実際に会うっていうことができなかったので、それを取り戻したいですね。
- 松尾 : これからもみんながやらないことをやるぞー!っていうかんじです。
- 中村 : インビジに入ってからずっとひたすら音楽を作ってきてますけど、意識を向ける部分が、音を出す仕組みとか、聞こえ方や与える印象といった細かい部分になっているんですね。そっちの方向をやっていきたいと思います。
- CD HATA : SOUNDABOUT 20回目のラストファイナル、濃いお話が聞けました。
ありがとうございます! 今回はじめて清川さんとお話をしていて、自分と近いものを感じたんですよ。
自分は
アウェイのわくわく感が好きなんですよね。これからもどんどん切り込んで行きたいです!
お聴きいただいたみなさん、関わっていただいたみなさん、どうもありがとうございました!
またどこかでお会いしましょう!